日本の家
ここ1週間ほどは凄い暑さで、おとついなんかはやたら暑い!と思っていたら日本の観測史上最高気温を記録したとかで、そりゃあ暑いのなんのって。
我が家は田舎の昔ながらの日本住宅なんだけど、さすがにおとついの暑さにはかなわなかったようで、普段外よりも随分涼しい家の中も暑い!暑い!暑い!涼しい図書館に避難していました。
とはいえ、嵐のような暑さのおとついを除けば、やはり我が家は涼しいです。深い庇が直射日光を遮り、陰の空間を風が通り抜け、畳の涼やかな感触が足に心地よく、先人の知恵を感じずにはいられません。
日本の住まいは夏を旨とするとよく言われますが、日本のとくに本州の中部以南についてはまったくその通りだと思います。多湿である日本の気候には、風というものが重要なファクターになってきます。開口の広い日本住宅は風を通しやすく、その通り道も匠にとりいれています。また木造にとって天敵である床下の湿度も、縁の下の空間・高さを十分にとることで風通しをよくすることで腐敗することを防いでいます。
残念なのは近年のバリアフリーの考え方がどうもかたよった印象を受けることです。つまり単純に段差をなくせと。たしかに日本の住宅は車いすには向いていないと思います。しかし、それが一概に悪いとは言い切れないのに、今の大手住宅業者のコマーシャリズムにはまったく共感できません。やれバリアフリー、やれ耐震だのもう少し信念と住宅の文化を持ってほしいと思います。
最近気になっているのは例えば、日頃から慣れ親しんだ日本家屋に住んでいる人がいて、その人に障害ができたときに、どう日本の家が対応できるかということです。たしかに高床式の住居や畳の部屋は車いすや足の不自由な人にはとても大きな障害になります。高床式+椅子座が標準的になってしまった生活スタイルではなおさらでしょう。
しかし、もし伝統的な日本家屋がそうした障害に対応できるとすれば、慣れ親しんだ家をあきらめて立て替える以外に選択肢を持つことができます。慣れ親しんだ家を取り壊すと言うのは考えている以上に精神的な衝撃の強いものです。それはハードディスクの消去に似ています。その家で過ごしたすべてのメモリーを消し去ることであり、身体の故郷を失うことです。しかし家はハードディスクと違い一度取り壊してしまえば、もう元には復元できません。
私の母は、彼女の実家が建替えられたとき、とても寂しそうに「帰る場所がなくなった」とつぶやいていました。
いまさらですが、日本の住宅はとてもよくできています。気候などの環境によって洗練されてきた結果でしょう。もちろんそのままでいいというわけではなく、今の生活スタイルにあった変化は必要ですが、よいものに対してはしっかりと尊重すべきだと思います。
そして日本人には「家」というものをもっとしっかりと考えてほしいと思います。「家」は商品ではありません。僕は「家」がウン千万円とかいったかたちで売られているのがとても気にくいません。家は決して売られるものではなく、築き上げるものです。建てた本人だけの代ではなく、本来は孫の代まで続くものであるということをしっかり意識してほしいと思います。
我が家は田舎の昔ながらの日本住宅なんだけど、さすがにおとついの暑さにはかなわなかったようで、普段外よりも随分涼しい家の中も暑い!暑い!暑い!涼しい図書館に避難していました。
とはいえ、嵐のような暑さのおとついを除けば、やはり我が家は涼しいです。深い庇が直射日光を遮り、陰の空間を風が通り抜け、畳の涼やかな感触が足に心地よく、先人の知恵を感じずにはいられません。
日本の住まいは夏を旨とするとよく言われますが、日本のとくに本州の中部以南についてはまったくその通りだと思います。多湿である日本の気候には、風というものが重要なファクターになってきます。開口の広い日本住宅は風を通しやすく、その通り道も匠にとりいれています。また木造にとって天敵である床下の湿度も、縁の下の空間・高さを十分にとることで風通しをよくすることで腐敗することを防いでいます。
残念なのは近年のバリアフリーの考え方がどうもかたよった印象を受けることです。つまり単純に段差をなくせと。たしかに日本の住宅は車いすには向いていないと思います。しかし、それが一概に悪いとは言い切れないのに、今の大手住宅業者のコマーシャリズムにはまったく共感できません。やれバリアフリー、やれ耐震だのもう少し信念と住宅の文化を持ってほしいと思います。
最近気になっているのは例えば、日頃から慣れ親しんだ日本家屋に住んでいる人がいて、その人に障害ができたときに、どう日本の家が対応できるかということです。たしかに高床式の住居や畳の部屋は車いすや足の不自由な人にはとても大きな障害になります。高床式+椅子座が標準的になってしまった生活スタイルではなおさらでしょう。
しかし、もし伝統的な日本家屋がそうした障害に対応できるとすれば、慣れ親しんだ家をあきらめて立て替える以外に選択肢を持つことができます。慣れ親しんだ家を取り壊すと言うのは考えている以上に精神的な衝撃の強いものです。それはハードディスクの消去に似ています。その家で過ごしたすべてのメモリーを消し去ることであり、身体の故郷を失うことです。しかし家はハードディスクと違い一度取り壊してしまえば、もう元には復元できません。
私の母は、彼女の実家が建替えられたとき、とても寂しそうに「帰る場所がなくなった」とつぶやいていました。
いまさらですが、日本の住宅はとてもよくできています。気候などの環境によって洗練されてきた結果でしょう。もちろんそのままでいいというわけではなく、今の生活スタイルにあった変化は必要ですが、よいものに対してはしっかりと尊重すべきだと思います。
そして日本人には「家」というものをもっとしっかりと考えてほしいと思います。「家」は商品ではありません。僕は「家」がウン千万円とかいったかたちで売られているのがとても気にくいません。家は決して売られるものではなく、築き上げるものです。建てた本人だけの代ではなく、本来は孫の代まで続くものであるということをしっかり意識してほしいと思います。
by haruya95
| 2007-08-18 12:20
| 建築