95's Diary

95の徒然なる日記です。
クワガタの鈍い艶やかさを知っていますか?
金曜日は近江環人の授業。

4限には以前版築の実習でお世話になった北嶋先生で、
地域環境との適応関係にある建築を
近代以前と以降に分類されるカタチで紹介された。

スライドの一枚目には中国のヤオトンがでてきて、
その秩序だった美しさにびっくり。
このままコンペでも使えそう
って、
以前こんな感じのを何かのコンペ見たことがあるなー。

近代以降はエミリオ・アンバースやフンデルトヴァッサー、NEXT21、内井昭蔵先生の建築なんかが紹介されていたけど、
エミリオ・アンバースやフンデルト・ヴァッサーのセレクトが共感。

フンデルトヴァッサーなんかは
環境問題と一緒に人間性や芸術性の欠如という視点から
問題提議をしているところに共感。
単純に彼の絵が好きということもあるけど。

特に今の日本人は芸術からひどく離れている気がしている。
他の国の実情を知っているわけではないけど、
これほど豊かでありながら、ゆとりのない国は珍しいのでは?
という気がしてくる。

今、ゆとり教育が見直されているのは
そうしたゆとりの意味を間違えていたからではないか?

私たちに必要なのは美しいものを美しいと思える心のゆとり、
美しいと思えるものを美しいと言える社会構造のゆとり、
時間的なゆとりはその次だと思う。

今日ちらっとみたテレビには「中学0年生」と名打って
中学進学の準備を促すコマーシャルが流れていた。

中学に上がるのにそんなに勉強が必要なのかと正直驚いた。
自分の頃にもそういう中学受験をした友達が何人かいたが、
今はそれがスタンダードなのだろうか?

僕は小学校の頃が感受性の一番高くなる時期だと信じている。
実際、僕がデザインに進むきっかけというか
その後に大きく影響しているなと思うできごとが多々ある。

12月の嘉田由紀子滋賀県知事の公開講義の中でも、
昔は「遊ぶ」ことが「学ぶ」ということだったと話されていた。
遊びと勉強が「学ぶ」ということから大きく分離されたように感じる。
そもそも「遊ぶ」ということ自体の意味が変わってきている。

小さな頃の僕にとって遊ぶとは「外部環境に出て行くこと」だった。
サッカーをしたり、秘密基地をつくったり、
クワガタをとったり、たき火をしたり、
弓をつくったり、川で遊んだり、
もちろんゲームもあったが、ほとんどが雨の日だったように思う。

日常の「遊び」から僕はいろんなことを「学」んだ。
クワガタの鈍い艶やかさ、アゲハチョウの文様、
鉄の錆びの色合いと匂い、土の感触…。
挙げればきりがない。
当たり前だったコトが学べなくなってきている。

今の子供達は何をして遊んでいるんだろう?
そもそも「遊んで」いるんだろうか?

もちろんそんな状況はまだマイノリティだと信じたい。
しかし、小学校から塾に通う、通わせているという話しはよく聞くようになった
学校の時間割もずいぶん変わったという話しを
高校のときお世話になった先生からも聞いたりする。
小さなことだが図画工作や美術の時間の削減は感性の抹殺に思えてならない。

一人一人の感性が育まれない、尊重されない社会こそゆとりがない。
日本は今そんな状況にあるような気がしてる。

日常から感性が育まれないとしたら、
日本の未来はどんなに環境問題を克服したところで
暗いんじゃないかなと思う。
自然環境だけではなく、文化環境もまた急速に破壊されている。

学歴社会は終わりに近づいていると信じたい…
就職活動中の私。
[PR]
by haruya95 | 2008-01-12 22:22 | 徒然…
<< 風邪ひいてまんねん。 ランニング・スロウ >>


by haruya95
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
profile
久郷 晴哉(クゴウハルヤ)
haruya kugo

1984年生まれ。

2007年
滋賀県立大学 環境科学部
環境・建築デザイン専攻
卒業
2009年
同大学大学院 環境科学研究科
卒業

現在はデザイン関係の仕事に
ついてます。

TOKYO POLAROIDS
SHIGA アカロイド



Links
ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧